様々な分野で活躍する卒業生

劉 雲龍さん(新56 )


劉 雲龍
2006年3月(平18年)応化卒(新56)
2006年4月  東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻入学
2008年4月 三菱化学株式会社(知的財産部)入社。現在に至る

プロフィール
1.千載一遇の留学チャンス
私は中国の上海で生まれ育ちました。家庭にも恵まれ、何不自由なく成長しました。高校に入ったある日、突然私に留学するチャンスが巡ってきました。しかも日本の高校の奨学生として留学できるというのです。私はその知らせを聞いて胸を躍らせました。しかしその一方で戸惑いもありました。若干15歳。気持ちは大人のつもりでも、現実は親の力を借りなければ生きていけない未熟な人間…。高校も進学校で、このまま順調に勉強していけばそこそこよい大学にも入れる。中国に残ったほうがいろいろな意味でメリットも大きい。しかしそこで私は考えたのです。留学のチャンスがないのならそれも仕方がないが、今自分にはそのチャンスがある。右も左もわからない異国の地で、親の力も借りず一人で生きていく。それはある意味で危険な賭けかもしれない。しかし、これを自分を成長させるチャンスと考えればこれに勝るチャンスはない。まさに千載一遇のチャンス。そう考えた私は迷わず日本への留学を選択したのです。

日本に来て私は全寮制の高校に入りました。そこで一番初めに出会ったのが言葉の壁です。近年「国際交流」という言葉をよく耳にします。その言葉から感じられるのは、とても暖かく明るく、楽しいイメージです。しかし私が直面した「国際交流」は厳しい現実でした。授業に出ても意味が分からない。クラスメイトとも話が通じない…。そうした「コミュニケーション」の壁にぶち当たり、初めのうちは意地悪をされたりすることもありました。そんなとき、ふと父や母の顔が頭に浮かび言いようのない寂しさに襲われることもありました。しかし、もしここで逃げ出してしまったら、両親や留学に至る過程でお世話になった人達に申し訳ないと思い、気持ちを奮い立たせました。そこで、まず日本という国での生活に、文化に思い切って飛び込もう。距離を置いて観察しているのではなく、すべてをありのままに受け入れよう。日本という国から優れたところ良い所を学び取るということを自分への「研究課題」としたのです。それからしばらくは、やはり辛いこともありましたが、謙虚に学ぶ姿勢を貫き通すことによってやがて言葉の壁もなくなり、日本という国に解け込むことが出きるようになりました。意地悪をした寮の仲間もかつて自分がした非を素直に詫び、友人も増えていきました。

よく感じることですが、「中国人」の日本という国での立場は非常に微妙です。過去の戦争にまつわる歴史問題、そして日本における在日中国人の犯罪などが原因で多くの日本人は中国人に対して良からぬ印象をもっています。時に同じ気持ちを共有する中国人同胞として憤ったり、責任を感じたりします。しかし、私は中国人であると同時に、一人の人間でもあります。私は、今までの留学経験を通して、中国人という「異邦人」の立場ではなく、同じ苦しみや楽しみを共有する「一人の人間」の立場として日本人と接することが一番良いということを感じました。それによって歴史や文化の壁を乗り越え、人間と人間の付き合いができました。

2.ドラゴンドリームI
私は高校のとき、将来大学で学んだことを生かして環境エネルギー問題にたずさわる職に就きたいと思っていました。具体的に言えば、国際的な組織、例えば国連環境審議会(UNEP)などの国際機関で世界の環境問題を解決するために働きたいと考えていました。

世界は今深刻な環境問題に直面しています。数年前オゾン層の破壊やエルニーニョ現象といった環境問題が世界的な関心事となり、最近はあまり耳にすることがなくなりましたが、これらの問題は現在もなお未解決のままです。さらには二酸化炭素量の増加による気温上昇や、それに伴う南極氷解による海面上昇、砂漠の拡大化など、今世界には今様々な環境問題が山積しています。また、近年の日本は度重なる台風の上陸で甚大な被害を被りましたが、これも単なる偶然ではなく、年々悪化する地球環境が何らかの形で作用しているからに他なりません。

こうした地球環境の異変を見るたびに思うのは、私の祖国中国の環境問題です。中国は今世界で最も大きな経済成長を続けている国の一つです。かつて日本が経験した高度成長を今中国も経験しています。人民の生活水準は目覚しい勢いで向上し、街には多くのモノが溢れています。私は年に1回は国に帰っていますが、そのたびに祖国の発展ぶりに驚かされ心躍らされます。しかし、そうした繁栄の裏には影の部分、すなわち深刻な環境汚染が横たわっています。中国政府は経済成長の成果を強調していますが、その経済発展には環境汚染が暗い影を落としています。現状を見る限り、石油に代わる何かがエネルギーの主力となるその日が来るまで、中国が排出する二酸化炭素の量は年々増加の一途をたどることでしょう。当然それに伴って地球の気温も上昇し、現状をさらに悪化させるだけでなく、新たな問題を誘発することも想像に難くありません。中国が真の先進国となるには環境汚染の克服という困難な問題から目を背けることはできません。十数億の人口を抱える中国が経済成長を優先してこのまま環境汚染の克服を先送りにしていけば、地球に毒を撒き散らし続け環境汚染を食い止めようとする世界の潮流に逆行することになってしまいます。

私は中国や世界の未来を考えると、経済発展よりも環境保護の分野にこそ自分の活躍の場があると確信していました。そして私がそうした問題に真っ向から取り組むためには、環境先進国である日本の、しかも最先端の研究機関を持つ早稲田大学で学ぶことが最も確実な道だと思ったのです。私はどちらかというと理想家で楽天家です。大学に入るまでさほど社会の問題に興味を持たず、世界はこれからもきっと良い方向に進んでゆくに違いない、大きな心配をする必要はないと思っていました。しかし、大学に入って色々な人と出会い色々な考えに触れることによって自分の視野も自然と広がり、ただ理想的で楽天的な見方をしているだけでは物事がうまく運ばないということが分かってきました。また、応化委員の仕事を通じて応化の先生方と接する機会が増え最先端の学問に対する興味が深まったことにより、より専門的な視点から社会の問題を考える習慣が身についてきました。卒業を控えた2005年は、私は将来の事を真剣に考えながら自分の夢、理想、興味、能力、等々を重ね合わせた結果、環境エネルギー問題の分野に力を注いでみたいという気持ちが強くなったのですが・・・

3.ドラゴンドリームII(化学工学から教育工学へ)
一方、実は、私にはもう一つの夢があります。
私は学業の傍ら大学1年生のときから学習塾非常勤講師のアルバイトを始め、現在に至ります。日本の中高生と多く接する中で、教育に関心を持ち始め、学校教育のあるべき姿、学習方法などについていろいろと考えるようになりました。また、以前経済産業省から早稲田大学へある調査の委託があった際、私はその一部を引き受けて、「競争力のある人材育成」というテーマのもと日中両国の教育・企業関係者と産学連携、大学の教育システムなどについて熱く議論を交わし、教育に対する思い入れをさらに強くいたしました。また社会問題としての観点から、教育普及問題(希望工程等)に対する中国政府の対応及び民間の動きについても以前から注目してきました。私は恵まれた環境の中で教育を受けることのできた一中国人としての立場から、このこととどう関わるか真剣に考えなければならないと思っています。良い国をつくるには良い教育が必要不可欠だからです。日中両国の経済関係は日に日に緊密の度を増しておりますが、経済面だけでなく教育面においても何か両国が協力できるところはないだろうかということも、常に考えています。

私は学部4年生のとき、運が良く、今世間で最も注目されている医用化学工学(再生医療)教室への配属が決まりました。確かに、再生医療といったような研究は、人の体を救う、人類にとって重要かつ必要不可欠なのです。しかし、そのときの自分の気持ちを考えて、私が最も情熱をもって取り組めるのは、再生医療の研究そのものではなく、素晴らしい研究をする人材を一人でも多く輩出するような教育システムを構築することだと確信していました。たとえ自分自身が世界一のものを作れなくても、世界一のものを作れる人材を育てられるのだとしたら、これに替わる遣り甲斐はありません。しかし、その頃の私には専門知識もありませんし、経験も浅いため、もう少し自分を鍛えなければならないと考えていました。私は、現在、東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻教育工学講座の赤堀研究室に所属し、子どもの「学力」と「教育」の国際比較というテーマで研究を進めているのはそのためです。

また、将来的に、私は留学生としての強み、すなわちグローバルな視点を生かすということを考えると、一国の利益のみを考えがちな国家機関で働くよりも、世界全体の利益を追求する国際機関で働くことのほうが自分の理想に合致すると考え、今国連関係機関(例えば、UNICEF)で働くことを目標にしています。そのためにもまずは大学院で様々なものを吸収することが必要だと感じています。

2002年10月 学校調査(中国上海の高校にて) 2006年9月 学校調査
(中国上海の小学校にて)
2006年9月 学校調査
(中国江蘇省の中学校にて)
2007年3月 学校調査
(中国広東省広州市の中学校にて)


劉 雲龍 プロフィール

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